THE BELIEF TREE 信念の木

  • by Darlene Cunningham with Dawn Gauslin

世を救うためのイエス様の戦略はイエス様に似た弟子を増やすことでした。イエス様のビジョンと価値を持った彼らがまたその弟子を生み出す方式です(Ⅱテモテ2:2)。

このようにする理由は過去も現在も福音を全ての人々に宣べ伝え(マルコ16:15),すべての民を弟子化し(マタイ28:19)残される実を結ぶためです(ヨハネ15:16)。私たちはこれをYWAMとUofNの呼びかけとし、すべての弟子の目標だと思います。

善の存在に永遠に残る実を結ぶ方法は何でしょう?神様がYWAMに与えてくださったビジョンと価値をどのように再生産で来るでしょうか?立派な組織を作り情報を伝授することだけでは十分ではありません。後輩たちに正しく伝えるためには伝える人がまずその信念と宣教の価値を骨の髄まで共感しなければなりません。そうでなければモデルを模倣するだけで”なぜ?”という根本的な質問には決して答えることが出来ないでしょう。

私たちは特に指導者として私たちが何を信じて、なぜ信じるかを知るべきです。また信じないことに対してもその理由を知るべきです。

聖書は私たちの人生とミニストリー、実を結ぶ生き方に対して木、土、ぶどうの木、枝打ち、実、葉っぱ、種などを例えにして説明しています。私は聖書的キリスト教の世界観を講義する「国々を弟子にする連盟(Disciple Nations Aliance)」のデローミラー(Darrow Miller)に「信念の木」の例えを初めて聞きました。彼は「考えは結果を生み出す」と教えました。実が根と繋がっているように人の行動は思考体系から出るという意味です。彼の講義を聞いた後横に見える木の絵が浮かびました。この信念の木の絵は私のすべての講義のベースになりました。皆さんが「信念の木」の意味を深く悟りますように神様がこの絵を用いてくださいますように願います。



私たちが木なら、土は世界観を意味します。根は基礎的な信念、幹は価値、枝は原則すなわち決定と政策基準を意味して実は行動とプログラムを表します。種には命を再生産する遺伝暗号が入っています。もちろん私たちの初種、DNAは私たちの中に生きておられるイエス様です!元気な命の循環が起こるためには必ずDNAの根から幹、枝に沿って実に流れて行かなければなりません。実の中の種は同じ過程を繰り返します。

土=世界観

自分と他の誰かを理解するために"私もしくは彼が生きた環境はどんな世界観を持っているのか?そしてその場所の人々の世界観は何だろう?"この2つの問いをしなければなりません。皆さんが十字架の事件を通してキリスト者になったとしても家族、文化、思考体系に影響を与えた背景を知るべきです微妙に影響を与えたものさえも大事です。これこそが皆さんという木が育ってきた土です。皆さんが育った土がアニミズムですか?ヒンドゥー?ムスリム?世俗的ヒューマニズムですか?これは皆さんが世界を見るレンズの役割をして来ました。大体の西洋の世界はユダヤ教的キリスト教の背景を持っていましたが世俗的ヒューマニズムの世界観によって衰退しています。「自分だけいいならいい、自分の気持ちがいいならする、真理は相対的なもの、自分が正しいと思えばそれが正しい」という考えの世界観の中で育ちました。こんな偽りに動揺しないことは大切です。もちろん私たちは個人のことも大切に思います。でも人を崇拝してはいけません。イエス様だけが私たちの中心であるべきです!

私たちが幼い頃学んだ世界観はたくさんの誤りがあったので聖書的世界観に新しく変わらなければなりません。そして私たちは聖書的世界観をベースにして信仰の根を形成します。フランシス·シェーパー博士(Dr.Francis Schaeffer)は私たちの信念の中に必ず含むべきキリスト教の4つの基本的な真理を次のように整理しました。

1) 神は無限であり人格的である。絶対的に限界がなく図ることもできない方である。創造された存在ではなく、初めと最後がない方である。また、知、正、義を持った人格的、関係的な存在である。聖書の神だけが無限でありながら同時に人格的な方である。

2) 男性と女性は有限であり人格的である。神の姿に似て作られたので知、正、義を持った存在であり、神と他の人と一緒に関係を共有する存在に創造された。でも人は有限で初めと限界点を持った存在である。

3) 真理は変わることなく認識することもできない。真理は変わらなく絶対的だ。人は真理を分かる。"あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする(ヨハネ8:32)"

4) 人は自分の選択に対して責任を持つ。善であるか正しいか賢明な決定をするならば報奨と命の結果を得る。悪であるか正しくないか不義な選択をするなら罰と死の結果を得る。

根=信念

根は信念ですから神の言葉の真理を通して育ち始めなければなりません。そうでないと良い実を結ぶことは出来ません。私たちが信じる信念は必ずみ言葉に根を置くべきです。

根の体系は私たちが神に対して信じていることを含みます。全知全能で無所不在である神の本姓すなわち神が誰であるかに対する理解を語ります。また愛であり、親切であり、正義であり、聖なる方であり、慈悲である神の品性を私たちにどのように表現するかに対する理解も含まれます。このように根の基本の説明だけでも時間がかかると思います。神様の広大さと敬意には終わりはないからです!それにもかかわらずこの根本的なことこそ御言葉をベースにして正しく習うべきです。それで弟子になりたい人々を豊かにして彼らのすべての決定に良い影響を与えるために教えるべきです。

YWAMのイエス弟子訓練学校(Discipleship Training School)では聖書的信念の根の体系に対して教え、戦うことでたくさんの時間を使わなければなりません。国際DTSセンターで作り、YWAM国際リーダーシップフォーラムで承認した教育課程は強い根を作れる卓越したガイドラインを提供します。 www.ywamdtscentre.com

神を真実に知るとき、神と共に過ごす時間を通して神の声を聴く方法を習うとき、神が私たちを愛するために私たちを含むすべての人々、そして全宇宙に向かう神の御心はいつも一番尊く最高だと悟るとき、私たちは"このようにするべきだった、そうしたらよかった、こうしたならば…"と後悔しながら生きる時間を減らすことが出来ます。私たちは神の御心がいつも善であり、私たちに向かう恵みはいつも充満であることを知り安定感を持つべきです。

幹=価値

YWAMは「基本精神」に価値を置きます。私は私たちが信じる価値の基本精神を書きながら確認する過程を踏みました。次の世代YWAMerたちに正しく伝えて続けて実を結ばせるためです。信仰を持つ人と言ってもすべてが同じ世界観や信念体系を持ってないことを知り私は"信念の木"を教えることに力を尽くしました。私たちが価値のあると思うものが内面化したらそれが信念になるからです。木の幹は地に入っていないように価値も幹から始まらないです。実を生産するためのスタート点はまずイエス様の種を私たちの人生の中に植えることです。私たちの世界観を聖書的な観点で見ると自分の中に根を下ろした世界観の正体が聖書を通して現れます。神はだれか?人は誰か?真理は何か?などに対する観点を言います。例えば、YWAM基本精神14番を見ると"YWAMは個人の価値を大切にする。"なぜでしょうか?神様は人々を神の姿に造って、神の愛の中で個人の人生を共有するように造ったからです。神が価値を置くことに私たちの価値も置きます。

枝=原理に立脚した決定と政策

木の大きい枝は個人や団体の決定を決める選択の基準を言います。繰り返して言うと、選択の基準は根から出ることで価値のある考えの基準が反映しなければなりません。そうではなければ力を失います。「強点探し(Strength finders)」という道具を私たちに紹介したジルガレット(Jill Garrett)は私たちの目的、ビジョン、信念、価値、原理と実行の連続性のためには「真正性(Integrity)」が必要と言います。健康な「真実性」の構造を立てるためにはこのすべてのことが神の言葉とともに同じ線上にあるべきです。

皆さんは何かの政策または共同体の決定が「割り切れない」と考えたことはありますか?その場合に大体彼らの主張と実行が一致しないからかもしれません。原則と政策の決定は信仰と価値を土台としてこの二つが隙間なくつながらなければなりません。ある政策を実行した時、私たちの霊が「そうだ!私たちが価値があると信じるなら同然そのように決めるべきだ!」という反応を見せるならいいでしょう。

次の話は私が運営したベースで実際あったことです。ある時経験が多い年輪のあるスタッフに車の配車の部署を頼んで旅行したことがあります。旅行が終わって帰って来ると25歳以下はYWAMの車を運転できないという新しい政策が作られました!最初は"変わった保険の会社から厳しい条件があったなぁ"と思いました。しかしやりすぎではないかと思い理由を聞きました。"年の制限が厳しくなりましたね。新しい制限ができた理由はなんですか?政府の要求ですか?それか保険会社が変わりましたか?"と問いました。ところが答えは私の考えとは違いました。若い運転手は不注意で無責任だと思い込んだ車両の担当者が独断に決めたことでした。

私たちは青年たちと宣教する団体として呼ばれました!これは「WAMは青年たちを支持しサポートする。」は6番目の基本精神に反映しています。若い兄弟、姉妹たちに難しくて危険なところに行きなさいと教え、福音のために青春をささげなさいと言いながら彼らの運転の実力を信じなくて車を預けることが出来ないとは言えません!運転の実力を検証するための基準は必要ですが"若者は無責任だ"という先入観は正しくありません。

考えてみてください。皆さんのベースや学校で神が誰か、私たちの価値をどこに置くべきかに対する世界観が反映されないまま決めて進行したことがあれば何を一番先変えるべきですか?私は持続的にこのような観点で評価し、評価されるために努力します。この努力の一環として"ダーリン、この決定に神の正義の具現と国際的な団体としての呼び掛けにどんな影響を与えると思いますか?"と挑戦する仲間をいつも横に置きます。神は私たちの団体を「再整列」したことがあります。私たちは続けて信念、価値、原理原則、決定、行動、実行が神のみこころに一致するか点検しなければなりません。持続的な評価になるべき部分です。

YWAMの指導者たちはUniversity of the Nations(UofN)の全過程に一週間のなかで少なくても3時間いじょうのとりなしの時間を入れています。なぜでしょうか?これが私たちの価値と信仰とは関係なく決まりだけなら、祈りは完全に命のない死んだ行いになります。仏教の信者も、ヒンドゥー教徒も祈ります。さらにムスリムは一日5回祈ります!しかし彼らの祈りの対象は真理の神様ではありません。私たちが祈る神は人格的で無限で、応答してくださり、見守ってくださり、力のある方です。神と双方のコミュニケーションとして祈りを価値のあるようにすることが私たちの信念です。だけではなく、神は祈る人を仲間としてくださいます!神は心にあるものを私たちの祈りを通して"天になるごとく地にも"神の御心を分かるように呼んでくださいました。祈りを通して私たちとともに創造の歴史を続くように願う神を信じ神の声を聴くことに献身するなら祈りの生活は変わると思います。

実=行動/プログラム

実とは木の生命力が外に表出されることです。一人の人として見るときにその人の行動、習慣が実です。共同体で見る時は団体が運営しているプログラムと慣行などが実です。木が元気なら根から生命力が木の幹を通り枝に伝わって行き、この生命の結果で実を結びます。私たちの人生とミニストリーでこのようなことが起きることを求めます。最後まで耐える実を結ぶことが私の望みです。

実の驚くところはその中に種を持っていることです! 種はDNAを運びます。実を結ぶ健康な木を再生産するために必須的な遺伝子を持つことです。

実を結ぶ季節が戻ってくるたびに新しい実が結ばれます。すべての実は独特で違いますが同じDNAを持っているため同じ種類の木になります。"りんごの中にある種は数えられますが、種の中にあるりんごが何個か数えられますか?"という質問を聞いたことあると思います。

DTSのようなプログラムはミニストリーの実ですので私たちの信念と価値、原則が反映されるべきです。

同じりんごでもすべてのりんごが独特のように、全世界のすべてのDTSは各自の独特な部分が認められなければなりません。神様が呼んだ人々が違い、彼らの必要さも違うからです。ですから現在のやり方とモデルが新しい命が成長するようによく助けているかをいつも見なければなりません。神は学校ごとに神の霊と創造性を通して新しいことと新鮮さを与えてくださいます。しかしYWAMとDTSが持っている遺伝子DNAを守っていくことを願います。ある人々はDTSのようなプログラムをコピーしようとしています。でもYWAMという木とつながっていないから失敗することを見ます。他の団体や教会でYWAM、DTSの要素を持ち出して使ったり似たような訓練のプログラムを運営することもあります。聖書的信念は似ているけどすべての組織の価値は違います。ですから各団体のプログラムは神様が彼らを呼んだ特性を反映しなければならないし、この特性が働く生命力から出なければなりません。

前で言ってように「真正性」は私たちの世界観、信念、価値、決め方、行為が切れることなく一つにつながった時出来ます。私たちの言行は一致されるべきで信念と信仰とも一致されないといけません。そうではなければ真正性は欠如されます。

また一つの個人的な例を言うとローレンと私はたまにYWAMerたちを家に招いて食事をします。その時もたくさんの方々が来ました。食事が終わり、たくさんの方が掃除を手伝うと言いました。その中でアルミの缶をたくさん持っている若いリーダーが"ダーリン、リサイクルはしていますか?"と聞き、私は"リサイクルは必要と思いますがしてません"と答えました。私の口から出る言葉が私の耳に聞こえたとき、息が苦しくなり衝撃を受けました。私が今この方々に「信念の木」に対して教えた人ではないでしょうか!逆に彼に聞きました。"今私の口から出ることを聞きましたか?「思うけどしてはない!」"ハワイではリサイクルの法律はありません。リサイクルのシステムが整えてないから実行することも優しくはありません。でも私はすぐ次の日にアルミの缶、ペットボトル、ガラスの製品を分けるためのリサイクルの箱を購入しその日からリサイクルを実践しています。

私の友であり仲間であるデービッドハミルトンは信念の木の講義に違う次元の悟りを教えてくれました。皆さんのリーダーシップと個人の人生の中で最も実質的な道具になると思います。

世界観=何が現実なのか (What is REAL)

これは私たちが考えたことのない現実に対する家庭を表します。一般的に成長の背景や養育方式によって疑問もないまま受け入れて信じることを言います。

信念=何が真実なのか (What is TRUE)

"しかし現実がつまり真実ではないでしょうか?"と聞く方もいると思います。そうです。「真正性」があればそうです。しかし「真正性」がなければ現実と真実の間は大きな差があるかも知れません。(前で言ったキリス教の基礎真理を覚えてください。絶対真理は存在し変わらなく、悟ることで知ることができます)

例えばアフリカのある部族は精霊を拝み石、海、ライオンなど自然の万物に霊があると信じています。彼らにはこれが現実です。彼らの世界観で見ると、あなたが痛いのは誰かがあなたを呪ったからです。精霊の崇拝者がクリスチャンになりイエス様が神の子であることを信じるなら彼らはこれが真理だと信じます。病気にかかってもイエスの力で癒してくださることを知っています。しかし、イエス様に祈ったけど治らないなら悪霊によって発病したと信じた過去の現実の戻ります。そしてたまに呪いから自由になるために呪術師に戻ります。

シンクレティズム(反対になる信念体系の混合)は福音の真正性を壊します。すべての文化と個人はシンクレティズムの問題を持っています。シンクレティズムは真正性が育っていくときに識別が可能であり除去することが出来ます。

価値=何がいいのか? (What is GOOD)

真理は善ですか?もちろんです。またそのように思わなければなりません。これはどう違いますか?皆さんが何かを善だと認めるとそれを行います。好きだからです。望むべきで利益になると考えます。内的喜びがあります。

YWAMの18個の基本精神を読みながら、"これを成し遂げたい"または"もっと努力しないと"で考えることがあります。そうしたらそれは少なくとも皆さんが従いたい、いい原則と思うことです。しかしまだそれは皆さんが心から愛することではないかも知れません。心から喜ぶだけではまだ自分の価値として持っていないことです。人生の中で生きる外的証拠がある時に自分のものになります。

原則に立脚した決定=私たちが考えることが正しいか? (What we think is RIGHT)

まず、皆さんがどんな真理を包容し、それに価値を置いたなら正しい決定と良い政策へ導くと思います。ただ規則を守り、正しいことをするだけで弟子になることではありません!真実な弟子は内的に治められる人です!これこそが世界で一番重要なことの中で一つです。目に見えることだけ偏ることではなく内面を治めて道徳性を守り神の原則に従って生きる人生、その人が真の弟子です。

行動/プログラム=何が賢明なのか (What is WISE)

私たちが分かち合うことが元に戻るなら私たちの行動や行為が賢くなります。

指導者は現実と真理、善で正しい、知恵が調和をなす意思決定を訓練しなければなりません。これが真に保存できる道です。そうすると私たちの真正性がまともなことか、ひびがあるかはどうして分るでしょうか?質問を通して可能です。

信念の木の各段階に洞察力を与える二つの質問があります。

1. "なぜ?(WHY?)" この質問は根本的で基礎的なことを引き出します。

若者たちに車の運転を禁止した規則に"なぜ?"と質問したダーリンの場合を考えてみましょう。質問は行動の意面にある基本明細、つまり世界観が何かを発見するように助けます。

政策:若者はYWAMの車を運転できない。

なぜ?政策の間違いだ。

政策にどんな問題があるのか?若者を支持するわが団体の基本精神に違反している。私たちはなぜ若者に価値をおかなければならないか?私たちが信念とした神の御言葉のためである。聖書は神様がエレミヤ、マリア、テモテ、ダビデ、サムエル、ダニエル、ヨセフ…そしてイエス様の弟子たちのような若者に価値を置いたとおっしゃいました。これとともに聖書的キリスト教世界観は私たちが生まれる時から神の似姿に造られたと記しています。25歳からではありません!

上の質問をしてみると政策の決定の根拠が"神様が語った"からだという事実を知るようになります。

"なぜ?"という質問を投げかけることは本当に重要です。これなしでは分別する力を得ることもできず、賢く決めることもできません。信念と価値を理解していなければまねするくらいで終わり命を失います。死んだ行いになることです。

逆に質問を通して根から実までつなげることもできます。

2."それで?(SO WHAT?)" この質問は含まれた意味と適用点を理解することに助かります。

世界観:私たちは創造主神様の似姿に造られた。
それで?私たちは神の創造のミニストリーに参加できることを信じる。
それで?創造のミニストリーの参加をために祈ることに価値を置く。祈りは変える力がある!
それで?私たちは原則に立脚した決定をする。睡眠、食事、社会活動など祈る時間を奪う時間を調節する。
それで?祈るライフスタイルを定着させるために行動と習慣を変えていく。

多くのクリスチャンが失敗する理由は真理が正しいからすぐかかわってもいいと信じるからです。価値を発見しこれが好きになり喜ぶ過程を通らないです。私が信じることが好きで喜ぶならこれを行うことは難しくないです。しかしこれが正しいと信じるから行うなら長く続きません。失敗しやすくなります。

聖霊さまが皆さんの人生を監察し真正性が欠如した領域を見せてくださるように続けて求めながら神に考えと知性の変化を祈ってください。成熟と成長してキリストをもっと似ていきます!

要約 : 私たちは必ず「なぜ」信じて「何を」信じるかを知るべきです。私たち仕えとミニストリーは必ず信念、価値、そして原則に基づいた決定の結果物であるべきです。また"なぜそうしますか?"という質問に答えるようにならなといきません。これは私たちの信念、価値、原則を分かち合える機会です。例え、どのように答えたらいいのか分からない時や準備ができてない時は答えを探して私たちの行いと仕え、ミニストリーの実がイエス様を表しているのかチェックできるいい機会です。

私が好きな話をします。ハワイのコナUofNにDTSを受けに来た4人の家族の話です。その夫婦は私の『信念の木』の講義を聞きました。彼らはキリストを信じて長くなく、夫は成功した事業家でした。事業家だったのできっと意思の決定に対する講義をたくさん聞いたと思います。そこで神の霊が彼に深い理解できる力を与えてくださって家族皆が信念の木の原則を悟りました。この時間を通して彼らの人生とその方向が信仰と合わせてあるかを確認するきっかけになると言いました。簡単でありながら実際的な枠になったことでした。DTS以降家に帰った後その家族はアイルランドで2週間の休みを過ごしました。ほとんどの時間を信念、価値、原則と行動を定義しながら家族の信念の木とともに過ごしました。大きい紙に木を描いてキッチンの壁に掛けました。家でよく集まるキッチンは家族が集まって決めたり、根を探し、方向を見直して評価する場所になりました。また言行一致、信仰一致をチェックして討論する場所になったと言いました。親が子どもたちに正しいことを教えるだけではなく、親が子どもたちに教えたとおりに生きているのかをチェックされることもあります。人生とミニストリーの「真正性」を検討するのに優しく、効果的な道具です!

黙想と研究のための聖書箇所

詩編1:1-3、コロサイ2:6-7、マタイ7:15-23、マタイ13:1-9、エレミヤ17:7-8、イザヤ61:3,11、ヨハネ15:1-17、コロサイ2-3章、ローマ11:16

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